"北海道では、河川内に遡上した
サクラマスを釣ることは禁止"
こうした理解については、
北海道の河川で釣りをするアングラーなら
誰もが知っていることだと思う。
しかしながら、
このルールの根拠がどこにあって、
ルール違反かそうでないかの分かれ目が
どこにあるかということについて、
自分なりの解釈を
明快に説明できるアングラーは
ここ北海道内にも多くはいないだろう。
こんなマニュアックなサイトを
訪問してくださる方に、
北海道の河川内で、
悪意を持って遡上サクラマスを
釣ってやろうなどと考える人は
おそらくいないはず。
だから、河川内でサクラマスが
ヒットすることがあったとしても
それは故意ではないに違いない。
けれども、イトウ狙いであれ、
ニジマス狙いであれ、
遡上サクラマスと同じ流域に
生息する魚を狙うアングラーは
ルールに関して、最低限の知識を
持っておく必要はあるのだろうと思う。
なぜなら、いつ何時、
「密漁」の嫌疑をかけられるか
わからないからだ。
アングラーが、
コンプライアンス遵守の意識を
強く持たなければならないことには、
もちろん、議論の余地はない。
その一方で、公権力なんてものは、
いつでも市民の
味方になってくれるかと言えば
それは大間違い。
規制行政に携わる公務員の中には、
残念なことに、善良な市民を
最初から悪人と決めつけ、
「懲らしめる」ことだけを唯一の目的と
勘違いしている者がいるのも事実だ。
もちろん全員ではないし、
そんな輩は、むしろ少数派で
多くの公務員は
「まとも」な仕事をしていると言っていい。
でも運が悪ければ、
目的をはき違えた輩が
自分が釣りをしているその場所に
突然現れることだって、
当たり前に起こりうるのだ。
つまるところ、
自分の身は自分で守るしかない。
だとすると、
面倒くさい話であっても
目を背けることなく、
しっかりと正面から向き合うことも
必要なのではないだろうか。
そんなこんな、
今回は、「北海道とサクラマス」をテーマに
ちょっとヒリヒリする問題について、
皆さんと一緒に考えてみたい。
そもそも、北海道内の河川で
サクラマス釣りを禁止する根拠は、
どこにあるのだろうか。
実のところ、禁止を規定しているのは
法令や条例ではなく、
北海道内水面漁業調整規則
(北海道HPへリンク)である。
そこで、北海道内水面漁業調整規則
第45条を見てみると、
このように書かれている。
次の表の左欄に掲げる水産動物は、
それぞれ同表の右欄に掲げる期間中、
これを採捕してはならない。
ここで言う「次の表の左欄」の中段には、
「ます(さくらます、からふとます、
べにます、ぎんます及びますのすけをいう。
次項において同じ。)」とあり、
その右欄には「周年」との記載もある。
要は、北海道内水面漁業調整規則
第45条の規定が、
北海道内の河川でサクラマス釣りを禁止する
いわゆる法的根拠となっているのである。
ここまでは、わかりにくいことは何もない。
この文言を10人のアングラーが読めば、
きっと10人とも同じ理解をするだろう。
そうすると、次に問題になるのは、
「採捕」とは、
どういう行為を指すのかということに
焦点が移ってくる。
そこで、「採捕」を広辞苑で調べると、
「動植物を採集・捕獲すること」とある。
さらに掘り下げて、
「捕獲」を広辞苑で調べてみると、
「とらえること。いけどること。
とりおさえること。」と書かれている。
一方、北海道は、「採捕」の定義について、
HP上でこう説明している。
「採捕」とは、「水産動植物を
自らの支配下に置く行為」を指します。
「支配下に置く行為」には、
魚篭に入れる行為はもちろん、
針に掛ける行為も含みます。
また、「採捕を禁止された魚」が
その水域で釣れる可能性が高い場合や
明らかに「採捕を禁止された魚」を
狙いとした仕掛けをしている場合は、
実際に釣れていなくとも
「支配下に置く行為」として、
違法の扱いを受けることがあります。
よく読むとわかるのだが、
一般的な「採捕」の概念よりも
その意味について、
拡大解釈しているように見えなくもない。
ただ、北海道内水面漁業調整規則は
もともと北海道が制定したものであるため、
一般的に言うと、
その当事者たる北海道の説明が
より正確であるはずだし、
むろん、そうでなければならない。
ただし、ここで注意が必要なのは、
「採捕」の概念について、
規則の中で説明している事実はなく、
HP上で後付け的な
説明をしているだけとも受け取れる点だ。
問題なのは、「実際に釣れていなくとも
『支配下に置く行為』として、
違法の扱いを受ける」のが
具体的にどのようなケースを指すのか
明文化されていないこと。
何をもって、
「『採捕を禁止された魚』が
その水域で釣れる可能性が高い」
と判断するのか。
何をもって、
「明らかに『採捕を禁止された魚』を
狙いとした仕掛けをしている」
と判断するのか。
HP上の北海道の説明では、
全くわからないのだ。
理論的には、法律や条例、規則などは、
現実として起こりうるすべての事案に
適切に対応できるように
設計されていなければならない。
言い換えれば、見る人によって
解釈が異なるような
文脈になっていたとするならば、
それは、緻密な設計がなされていない
いわゆる「ザル法」だ。
一方で、実態上は、時代の変化とともに
過去には全く想定されていなかったような
事象が起こるのもまた事実。
このようなケースでは、
事例判断として、コトの善し悪しが
判断されることがあったとしても
致し方ない部分もあると言えなくもない。
けれど、法律や条例、規則などの文言を
公権力側が恣意的に解釈する余地が
多分に残されているとすればどうだろう。
それは、公権力側の一存で、
ルールをいかようにも
拡大解釈ができてしまうことにつながる。
私たち一般市民にとっては、
それが一番恐ろしいことなのだ。
このことを踏まえつつ、あらためて
北海道内水面漁業調整規則の文言を
検証してみることにしたい。
ひとつの例として、
「『採捕を禁止された魚』が
その水域で釣れる可能性が高い」
という文言について考えてみよう。
北海道のフィールドを
よく知るアングラーの方なら、
例年6月頃、サクラマスが大挙として
道内の河川を遡上してくることは
よくご存じだろうと思う。
遡上のタイミングは、
川の水位や月齢などの影響を受け、
必ずしも一様ではないものの、
6月に大河の中・下流域で釣りをしていれば、
間違いなく、遡上型サクラマスが釣れる
「可能性はある」とは言える。
この点については、
公権力たる北海道側も、
私たちアングラーの側も
ほぼ同様の見解を
共有できていると言ってもいいだろう。
一方で、「可能性が高い」かどうかの判断は、
極めてあいまいだ。
同じ場所でも、その時々で
状況が異なるのは至極当然のこと。
さらに言えば、
公権力側の担当者によっても
その判断が分かれることだってあるだろうし、
個々のアングラーによっても、
異なる見解を持つに違いない。
何をもって「可能性が高い」というのか、
そこがブラックボックス化されていて、
私たちアングラーには全く見えない。
ここが、大きな問題なのである。
もの凄く極端な例で言えば、
こんなことだって想定される。
公権力側が気に入らないヤツが
6月に、北海道内の河川で
釣りをしていた場合、
規則を恣意的に拡大解釈して、
逮捕してしまうなんてことも
現実に起こりかねないのだ。
もっと言うと、逮捕されたのが
もし、野党所属の国会議員や
道議会議員だったらどうだろう。
これは極端な例ではあるが、
やろうと思えば、権力が市民を
不当に押さえつけることも
できてしまうのである。
この国の民主主義は
最近、危うさが急加速している印象もあるが、
さすがに、こんな暴挙が
許されていいはずはない。
けれど、北海道内水面漁業調整規則には
そんな危うさが潜んでいることを
忘れてはならないのだ。
ちょっとばかり極端な言い回しに
聞こえるかもしれないが、
そのことから、私たちアングラーは
決して目を背けてはならないのだと
常に私は思っている。
そうは言っても、
私だって、民主主義を抑圧するために
北海道内水面漁業調整規則があるなんて
言っているわけではないし、
もちろん、思っているわけでもない。
そういう大きなリスクをはらむ
恐ろしいルールであると言っているに
過ぎないのだ。
それを踏まえた上で、今度は、
北海道内水面漁業調整規則の
もう少し現実的な問題点についても
検証してみたい。
ここまで書き綴ってきたように
北海道内水面漁業調整規則についての
行政側の運用には、
極めてグレーな部分が多い。
ひとつの背景としては、
行政側に広く自分たちの裁量を
残しておきたいという思惑があることは
間違いないだろう。
ただ、これは、
何も北海道内水面漁業調整規則に
限ったことではなく、
法令や条例など行政が決めた
ルール全般について言えることである。
そこで、規則の運用がグレーである
もうひとつの背景にも
フォーカスしてみたい。
その背景とは、
ここ北海道において、特に内水面の
遊漁者の地位が著しく低いこと。
もし、地域から見て、遊漁者を
大事な存在と捉えているのであれば、
行政側は、規則の運用を
必要以上にグレーのままにはせず、
もう少し親切な説明をするに違いない。
なぜなら、遊漁者は
北海道にとって大事な「お客様」
ということになるからだ。
ひとたび道外に目を向ければ、
遊漁者の存在が
地域活性化の一助となる場合があることや
ひいては、水産資源の保全と利用の
両立に寄与しうる場合もあるという理解が
行政とアングラーの間で
十分に共有できている地域も少なくない。
しかしながら、ここ北海道においては、
水産行政全般の中での内水面の重要度は
他府県と比べ、著しく低い。
「遊漁者なんてただの厄介者」
というような前時代的な認識が、
水産行政関係者の間では、
未だに蔓延しているようさえ感じられる。
現実を見れば、猿払、幌加内、鹿追、
阿寒、弟子屈、標津などの道内各地域では、
遊漁者の存在が、
無視できない規模の経済効果を
地元に生んでいる事実もあり、
こうした事実を
行政側が全く把握していないかと言えば、
必ずしもそうではない。
けれども、そこには、
「縦割り」という大きな壁が確実に存在する。
遊漁者の価値に着目するのは、
経済や企画関係の職員であって、
水産行政担当者が遊漁者に向ける視線は
多くの場合、相当に冷たいものであると
言わざるを得ないのである。
平たく言えば、
北海道の水産行政が志向しているのは、
漁業者ファーストではなく、
漁業者オンリー。
北海道のサクラマスは、
漁業者にとって
経済的価値の極めて高い魚であるから、
サクラマス資源が少しでも減少する
リスクをはらんでいる行為は、
それが明らかな「クロ」では
なかったとしても
何としてでも抑え込みたいという
本音も透けて見える。
要するに、遊漁者を軽視しているから
こういう発想になる。
端的に言えば、そういうことだ。
こうした行政側の姿勢からは、
現状、漁業者と遊漁者の共存を
模索しようという意識は
あまり感じられない。
一応、海面においては、
サクラマスのライセンス制度の導入など
一部で建設的な取組が
行われているのも事実だ。
けれども、このライセンス制の導入とて、
つまるところ、漁業者の保護という
画一的な目的に資するから
導入できたに過ぎないのである。
そんな背景がありつつも、
アングラーの多くは
「漁業者ファースト」のスタンスに
決して異を唱えることはないだろう。
だから、細かい調整は必要だとしても
本来、漁業者と遊漁者は
「漁業者ファースト」という着地点で
win-winの関係を構築できるはずなのだ。
にもかかわらず、行政側の姿勢が
「漁業者オンリー」であり続けることは
残念以外の何物でもない。
こうした背景も含めて考えると、
北海道内水面漁業調整規則に関する
北海道の説明が、いささか前のめりになる
本当の理由も見えてくる。
だから私は、この説明を
全面的に受け入れることはできないのだ。
もし、北海道の説明に
過剰に耳を傾けるとすれば、
天塩川や尻別川などでは、
イトウ釣りもニジマス釣りも
できないことになってしまう。
さらに、釧路川を経由して
海とつながっている屈斜路湖では、
見た目だけで、それが
ランドロックのサクラマスやヒメマスなのか、
はたまた海から遡上してきた
サクラマスやベニマスなのかなんて
専門家でも完璧に判別することなど
できないであろう。
こうして考えてみると、
北海道の説明に過剰に耳を傾けるのは
あまり得策でないというのが私の考えだ。
そのスタンスには、
間違いなくそれなりのリスクも伴う。
もちろん、違う考え方があったっていい。
それでも、一般のアングラーが
公権力に対して忖度することなど
何の意味も持たないであろう。
どんなに厄介者と思われていようとも
必要以上にナーバスになる必要は
一切ないのだ。
もちろん、できることなら、
行政、地域、アングラーが一体となり、
今後の内水面遊漁のあり方について、
建設的な議論を交わせれば
それは間違いなく重要な意味を持つ。
だから、いくら行政の対応に
不満があるからと言って、
対話の窓口をアングラーの側から
閉ざしてしまうのは
およそ正しい方法とは言えないだろう。
要は、行政の姿勢に
不必要に迎合するわけでもなく、
コミュニケーションを
拒絶するわけでもない。
そんな自然体でいることが、
今、私たちアングラーに求められる
あるべき姿勢なんじゃないかと思う。
大事なのは、北海道内水面漁業調整規則に
書かれている文言について、
文理に忠実にルールを理解し、
やってはいけないことを
やらなければイイという
極めて単純な話なのではないだろうか。
そう考えると、原点に立ち返り、
「とらえること。いけどること。
とりおさえること。」とは
いったいどういう行為を指すのか、
検討しておくことが必要だ。
実際のフィッシングシーンを
思い浮かべながら考えてみたい。
もし、キャッチ&リリースを
前提とする場合でも、北海道の河川内で
遡上型サクラマスを
狙って釣っていたとしたら、
「とらえること」を目的としているのだから、
その行為は「採捕」にあたると
解釈するのが妥当だろう。
また、イトウ狙いのさなか、
遡上型サクラマスが
ヒットしてしまった場合でも、
ネットに入れてしまえば、
「とりおさえた」とみなされても
反論するのは難しいのではないか。
さらに言えば、意図せずヒットした
遡上型サクラマスを
水中に横たえて写真を撮ることは
「いけどる」ことにほかならない。
つまり、もし遡上型サクラマスが
偶発的にヒットしてしまった場合、
自身の正当性を主張するためには、
「偶然ヒットしたのだから仕方ない」
という説明だけでは足りず、
ヒットしてしまった後、アングラーが
どのような行動を取ったかについても
非常に大事になってくるのである。
こうして考えるとわかるように
行政側のスタンス云々は別として
あくまでも、北海道内水面漁業調整規則に
書かれている文言の文理に忠実に
ルールを理解したとしても、
アングラーが、
気を付けるべき点は少なくない。
最低限、これらの部分については、
強く意識を持って行動しないと、
「行政の説明がグレーだ!」
なんて主張したところで、
ただの言い訳にしか
聞こえなくなってしまう。
だから、個々のアングラーには
理性的な行動が求められるのも
また事実なのだと思う。
私の場合、当然のことながら、
遡上型サクラマスを、
狙って釣るようなことは絶対にしない。
だから、不可抗力的に
「針にかかってしまう」ことはあっても
意識的に「針に掛ける」ことはありえない。
期せずして、遡上型サクラマスが
ヒットしてしまった場合は、
魚には一切手を触れることなく、
フックを外すようにしている。
もちろん、写真を撮るという行為はしない。
そうすることで、
「とらえず、いけどらず、とりおさえず」。
遡上型サクラマスを釣ってはいけない
法的根拠をしっかりと理解した上で、
何かあった時に、自身の行為の正当性を
論拠をもって説明できるように
常に心掛けている。
もちろん、ここまでやっても
100%大丈夫ということではない。
ただその先のことは、
すべて自己責任とすればよいのであって、
公権力の自己保身的な
都合の良い文言に振り回されて、
イトウ釣りやニジマス釣りを
楽しむ権利を放棄するなんて
あまりにもったいないではないか。
コンプライアンスには慎重でありつつも、
必要以上にはビクビクはしない。
それが、ひとりのアングラーとしての
「ちょうどよい」立ち回りだと考えている。
最後に少しだけ
行政側のフォローをしておくと、
北海道の河川では、目に余るほどの
サクラマスの密漁が横行していたのは事実。
だから、取締りを強化するのは
むしろ正しいことである。
ただ、悪意のある者と善良なアングラーを
一緒くたにするような
ルールの恣意的な運用は
決して許されないというだけの話だ。
私たちアングラーの側も、
問題の根っこの部分をしっかりと理解し、
必要に応じて、
行政ともしっかりと連携しながら
より良い釣り場づくりを
地域ぐるみで進めていく努力を
欠かしてはならないと思う。
批判をするだけでなく、
たとえ小さなことであっても
私たちアングラーができることを
地道にやっていくことが大事。
私自身、評論家にならず、
常にプレイヤーでいることを
忘れないようにしたいと考えている。