#10|トレンドの功罪

トレンド

ここ最近、
私たちの日常生活において、
頻繁に耳にするようになった
代表的なワードのひとつだろう。

特に、スイーツや
アパレルなどを語る時は、
絶対に外してはならないもの。

もし、世の中のトレンドと
少しでも認識がズレていようものなら、
「そんなことも知らないの!」と
指を差して大笑いされる。

それくらい、
"トレンド"の社会的な地位は
どんどんと右肩上がりで
向上しているように私には見える。

ところで、
「トレンド」の対義語は、時代遅れ。

一般的には
「トレンド」に乗り遅れている人は、
時代遅れの人、あるいは、
時代錯誤の人ということになるらしい。

この理屈を
ルアーフィッシングの世界に
当てはめてみると、
バスフィッシングでビッグベイトを
使いこなせないのは時代遅れ……

……とか、
本流トラウトフィッシングに
ヘビーシンキングミノーを導入しないのは
もはや時代錯誤と
いうことになるのかもしれないな。

冒頭から
こんな書き方をすると、
私がトレンドというものを
すべて否定的に捉えているように
聞こえるかもしれない。

だが、
実際は、と言えば、
決してそんなことはない。

新しいモノが
生み出されること自体は大歓迎だし、
そこに新たな価値が
内包されているのだとすれば、
それを否定する理由はない。

新たなトレンドが
生まれるということは、
むしろ、釣りの文化的価値を高めるという
ポジティブな効果を
派生させることになるからだ。

ただし、
すべてのトレンドを
肯定的に捉えているかと言えば、
そうではないのも事実だ。

私が思うに、
トレンドというものは、
自然発生的なものと
人為的なものの
ザックリ2種類に分けられる。

このうち前者については、
何の裏表もなく、
純粋に多くの人に支持された結果として
不作為に生み出されたもの。

だから、
非常に価値の高い
ポジティブなトレンドと
呼ぶこともできるだろう。

問題後者、
そう、人為的、もっと言えば、
人々をあるひとつの方向に動かそうとする
明確な意図を持って作り上げられた
トレンドのほうである。

そもそも、
誰かが金儲けを画策して、もとい、
新たなムーブメントを起こすことを視野に、
人為的に作り上げたトレンドであれば、
わざわざ"影"の部分に
光を当てる必要はない。

そう、そこには
バランス感覚など一切不要だし、
多様性の大事さなんかも
特に意識する必要がないのだ。

自らが主導して
つくり上げたトレンドを、
ただひたすらに
スゴイスゴイと持ち上げればいいだけ。

こんなことが繰り返されるうちに、
やがて非トレンドは、
むしろ目障りなものとして、
窓際へと追いやられていくのである。

このブログは、
鱒釣りがテーマなので、
ここではスピナーに焦点を当て、
もう少しだけ戯言を
続けてみることにしたいと思う。

2021年7月現在、
渓流ルアーフィッシングの世界で
スピナーが世の中の
トレンドになっているかと言えば、
間違ってもそれはないだろう。

一部には、
スピナーをこよなく愛する
アングラーの方もいるとは思うけれど、
それは、はっきり少数派。

下手をすれば、
スピナーを使った釣りなんて、
もはや時代遅れじゃないかと
揶揄されることだってあるかもしれない。

しかしながら、
スピナーというルアーの本質に
しっかりと目を向けるとするならば、
あたかもそれが
「時代遅れのルアー」
であるかのような指摘には
決して同意はできない。

北海道のフィールドで
スピナーが役に立つシーンなんて
身近なところに
たくさん転がっているわけだし、
実際にスピナーを使ってみれば
よく魚が釣れるルアーであることが
誰にでもわかるはずだ。

このスピナーのくだりで
私が広く伝えたかったのは、
非トレンドが、すなわち、
時代遅れなのではないということ。

そう、日々トレンドばかりを
追いかけていると、
つい、それ以外のものの価値を
軽視しがちになるけれど、
こうした行動原理は、自ら進んで
視野を狭めようとしているに等しい。

これでは、あまりに
もったいなさすぎるんじゃないかな。

トレンドという意味で言うと、
もうひとつだけ、
私には、ずっとずっと
引っ掛かっていることがある。

はたして、それは何か。

そう、それは、
アングラーがキャッチした魚を
従えるように抱きかかえ、
どや顔で写真に収まっている光景のこと。

コレ、間違いなく現代の
トレンドのひとつだと思うのだけれど、
果たしていつ頃から、
多くのアングラーが
無意識にコレをやるようになったのか、
そのことが
気になって仕方がないのである。

率直に言って、
一般のアングラーが
自ら釣り上げた魚を手に持ち、
いわゆる「ニコパチ」写真を撮ることに
私が嫌悪感を抱くことはほぼない。

もちろん、
一部に例外もあるが、
仮にその行為が、さほど魚に
優しくない方法であったとしても、だ。

釣った喜びのあまり、
魚の扱いがおろそかになることなんて、
アングラーなら、
誰だって一度や二度は
経験していることだと思う。

かく言う私にだって、
当然、そういった過去がある。
それゆえ、したり顔で
一般アングラーの揚げ足を取ろうなんて
決して思ったりはしない。

他方、プロとして活動していて、
一般のアングラーに対し
一定の影響力があるアングラーたちの
所作となれば、話はまったく別。

本や雑誌、テレビ番組などで
晒しているあの姿には、
呆れるを通り越して、
正直、悲しくなることすらある。

そうそう、
スポンサー企業のウェアで

全身バッチリと決めて、
キャッチした魚を
「ほらスゲーだろ!」とばかりに
カメラ目線でどや顔している、アレ。

ああなると、
主役はもう魚じゃない。
魚を釣り上げた「オレ様」である。

商品価値を持つ
一人のタレントとして、
自身をブランド化しようとすること自体を
否定する理由はもちろんない。

カッコいいスタイルで、
カッコよく釣りをしている分には、
見ている人は誰ひとり、
嫌な気持ちになったりはしないからだ。

でも、多少のカスタマイズはあれど、
多くのプロアングラーが
揃いも揃って「どうだ!見たか!」は
さすがに違和感しかない。

自己のブランド化に役立つのなら、
大好きなはずの魚も
躊躇なく踏み台にしてしまうのね、と。

はっきり言おう。

こんなトレンドを追うの、
カッコ悪すぎるから
もういい加減
やめようじゃないか!

最近の釣り本や
釣り雑誌に掲載されている写真。

全部とは言わないが、
「オレ様、スゲーだろ!」
「このタックルだから釣れたんだぜ!」
的なテイストのものが、
あまりに多すぎやしないだろうか。

タックル片手に大鱒を抱えて
どや顔で映る写真は、
確かにインパクトがあるけれど、
後にその写真を見た
次世代のアングラーの心を
本当に動かせるのか、
ということ。

せいぜい、
昔のオッサンって、
自己顕示欲が
異常に強かったんだなと笑われるだけ
そんな気がしてならないのだ。

今もなお、愛される
昭和の時代の釣り本
には、
時代が変わっても
決して色褪せない魅力がある。

お世辞にも、文章や写真が
洗練されているとは言い難いが、
掲載されている写真の多くが、
「オレ様、スゲーだろ!」じゃなく、
「この魚、スゴくない?」だから、
とにかく嫌みがないのである。

本から伝わってくるのは、
歪んだ自己顕示欲とかじゃなくて、
そのアングラーが抱いているであろう
魚をいとおしく思う気持ち。

そう、このアングラー、
純粋に釣りが好きなんだな、ってね。

それと比較して、
平成、令和の時代の釣り本に
果たしてそれと同等、
あるいはそれ以上の
価値が本当にあるのだろうか。

こんな命題を
自分自身に投げかけてみた時、
正直、この問いに対しては
ノーという言葉以外、見つからなかった。

一般のアングラーが書いている
ブログの中には、
コレ、30年後に見た人も
きっと面白いと感じるんだろうな、
と思える素敵なものも散見される。

けれども、
近年、世に送り出された
メジャーな釣り本や雑誌
思い返してみても、
基本、人為的に創り出されたトレンドに
フォーカスするばかりだから、
その中に、30年後、50年後も
色褪せない価値を見い出すことは難しい

もし、時間ととも
深みを増していくことがないのだとすれば、
所詮、その本は
その程度の価値しかないということ。

平成、令和の時代のリアルが、
次世代のアングラーたちに
引き継がれていかないのだとすると、
それほどせつない話もないだろう。

先日、私が
feat.鱒という本を出版したのには、
実のところ、
このような背景がある。

やや生意気な
言い方になってしまうが、
個人で本を出版したのは、
現代の鱒釣り界に対する
ひとつの問題提起のようなもの。

だからこそ、
feat.鱒を取り扱ってくれている
釣具店のスタッフさんから、
「最近のよくある雑誌とは
切り口が違っていてなかなか面白い」
と言ってもらえたことが、
超絶にうれしかった。

細かいことがどうこうじゃなく、
私が広く伝えたかったメッセージが、
意図せず利害関係の
真っ只中にいる方々にも
ちゃんと届くんだな、って思えたから。

feat.鱒は、
時間とお金をかけて作った本だから、
一般的な商品と同じように、
一冊でも多く売れれば
もちろんそれに越したことはない。

けれども、
私の本当の願いは
別のところにあったりする。

それは、本を購入してくれた方が、
長く自分の手元に
本を置いておこうと思ってくださって、
それが次の世代へと引き継がれた時に、
「へ~、30年前は、
こんな鱒釣りの世界があったんだね~」
と思ってもらえること。

やっぱり、
本が何冊売れたかよりも、
もっともっと
大事なことがあるんだな。

30年後、50年後を生きる
ひとりでも多くの方に
令和の時代のリアルな
トラウトフィッシングシーンに
触れてもらえる機会を
ちゃんと遺しておくこと

これが、
今の時代を生きるアングラーの
責任のひとつなのかなって、
私は常に思っている。

だから、
その中心にいるべきは
自分なんかじゃない。

主役は、
いつの時代も「鱒」なのだ。

だってそうだろう、
30年、50年後に次世代のアングラーが、
どや顔で鱒を抱えてる私の写真を見たって、
心なんて動くわけがない。

もし自分が
この世に生きた証を残したいなら、
どや顔写真じゃない、
別の方法がほかにもあるよね、と。

今回のコラムでは、
トレンドをテーマに戯言を並べてみた。

ダラダラと
書いちゃったけど、
まとめると、
私の想いは、概ねこうである。

タピオカや
ルーズソックスの価値が、
時代によって大きく変化するなんて、
本来はおかしな話。

そのモノやコトに
十分な価値があると思えば、
世間の評価がどうであれ、
自分の中に取り込んでいけばいいし、
大した価値がないと思えば、
大多数の人が
ちやほやするような対象であっても、
完全スルーを決め込めばいい。

つまるところ、
意識してトレンドに
乗っかる必要もなければ、
あえてトレンドを
真っ向から否定する必要もない。

要するに、
トレンドかどうかなんて
取るに足らないことなのだ。

そう、
鱒釣りの世界だって
もちろん同じ。

必要以上に
トレンドに敏感にならなくたって、
何の不自由もないし、
釣りの楽しみが減るわけでもない。

ヘビーシンキングミノーや
スライド系スプーンの釣りが
楽しいと思えばやればいいし、
そうじゃなければ
無理してまでやらなければいい。

ただそれだけの
ことなんじゃないかな。

さて、
読者のみなさんは
何を思っただろうか。

賛成、反対、
まったく別の考え……。

もちろん、
どんな考えであってもいい。

このコラムがきっかけとなって
何らかの気づきがあったとすれば、
それだけで私はうれしいし、
とても価値があることだと信じている。

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