#04|目的と手段

#04|目的と手段

社会生活において、
目的と手段を取り違えることは
往々にして起こりがちだ。

かく言う自分も、ふと、取り違えに気づいて、
ハッとすることがある。

例えば、移住。

移住は、新たな人生をスタートするための
「手段」であって、「目的」ではない。

ところが移住を「目的」にしてしまう人も
少なくないのが現実だ。

そうすると、移住後、
その人に、いったいどんな運命が
待ち受けているのだろうか。

こういったケースでは、
無事、移住に成功した時点で、
「目的」は達せられる。

だから、その先がない。

その先の人生のイメージがないから、
仕事に、人付き合いに、
いろいろとうまくいかなくなって、
結局、何のために移住したのか
わからなくなってしまうリスクが大きいのだ。

これと似たケースは、
釣りの世界でもよく見かける。

そう、キャッチ&リリースに関する議論である。

キャッチ&リリースは、私たちアングラーが
魚たちと気軽に出逢えるフィールドを
維持していくための、

そして、貴重な魚たちを
次の世代に引き継いでいくための
一つの「手段」だ。

だから、すべてのフィールドで
他のアングラーに
キャッチ&リリースを強要することも、

反対に、キャッチ&リリースの理念を
全否定することも、
どちらも非建設的だと私は思う。

なぜなら、貴重な魚たちを
次の世代に引き継いで行くという
「目的」が達せられるなら、
キャッチ&リリースという
一つの手段に固執することはないし、
キャッチ&リリースという
一つの有効な手段を
あえて放棄する理由もないからである。

つまるところ、フィールドに立つ
アングラーひとり一人が、貴重な魚たちを
次の世代に引き継いでいくという
「目的」を共有できさえすれば、
キャッチしたすべての魚を大量に
持ち帰ることはしないだろうし、
リリースするときは、
必ず丁寧に魚と接するはずだ。

誰から強要されるでもなく、
あくまでも自発的にである。

目的もはっきりしない中、
他者を自身の基準に当てはめて
感情的に評価し、
偏った正義の拳を振り下ろすことが
正当化されてしまいがちな
この悲しい時代。

せめて釣りの世界だけは、
貴重な魚たちを次の世代に
引き継いでいくという「目的」を、
見失わないようにしたい。

そして、「目的」を達するために必要な
「手段」について、さまざまな立場の人が、
多角的に議論していけるような、
そんな環境が少しずつでも整備されたらいい。

もちろん、そんなたいそうなことを
ひとりでできるわけがない。

それでも、どんなに小さいことでもいいから、
まずは、自分にできることをやっていこう。

私は、今、そんなことを思いながら、
自宅のPCとにらめっこしている。

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