#01|私の釣り観
釣りは自由だ。だから面白い。
ひととおり頭の中で妄想を巡らせたところで、
自分なりの戦略を立て、
今度は、自分なりのアプローチで魚と対峙し、
そして、ひとつの結果が導かれる。
現実は甘くない。
ほとんどのケースで
思いどおりの展開にはならないし、
思いどおりの結果にたどり着くことも
ないのである。
けれど、まれに、
自らの描いた画が現実となる時がある。
そんな時、アングラーは
あたかも、魚とコミュニケーションが
取れたような気持ちになって、
アドレナリン全開の状態に陥るのだ。
また、思いどおりにならなかったのに、
偶然の産物として、
期待以上のクオリティーの高い魚に
出逢えてしまうこともある。
そんな時、アングラーとしての
自らの未熟さを突き付けられた口惜しさと
思いがけず、素晴らしい魚に
出逢えた嬉しさが混在する
なんとも不思議な気持ちになるんだな。
ひとりの大人が、社会生活の中で、
こんなにも感情を
大きく揺り動かされることは滅多にない。
魚と対峙し、ドキドキ感に揺さぶられている自分は、
好奇心旺盛でまだまだ未熟な
“小学生”そのものと言えるだろう。
けれど、自分を客観的に注視したとき、
もっとも魅力的な自分がそこにいる。
リスクを冒さない“大人”な振る舞いで、
つつがなく日常をやり過ごす普段の自分より、
きっと“イイ顔”をしているに違いない。
同じようなことは、
偶然、フィールドに居合わせた
アングラーの表情からも読み取れる時がある。
どこにでもいる小難しそうな顔をしたオッサンも、
ツンツンとしてちょっととんがったお姉さんも、
美しい魚を手にした時の笑顔は、格別だ。
そんな人間の魅力的な一面に遭遇する場面は、
かけがえのない経験となる。
日常では、
なかなか経験することができないのだから・・・。
釣りは自由だ。
自由だからこそ、人を笑顔に変える力がある。
だから、面白い。
いつまでも、釣りは自由でありたい。
不必要な束縛はご免だ。
なぜなら、それは、人を悲しい顔に変える
圧力でしかないから・・・
自由な釣りを未来へつなごう!
それが今を生きる
ひとりのアングラーとしての
最低限の責任なんじゃないだろうか。
そう、胸に刻みながら
フィールドに立ち続ける。
それこそが、私の「釣り観」であり、
ひとりのアングラーとしての矜持である。