人生2度目の命拾い

はじめに

このたび発生した
福島県沖地震により
被災された皆様に
心よりお見舞い申し上げます。

一刻も早く
皆様が日常を取り戻せるよう
全力でお祈りしますとともに、
今、自分に何ができるかを真剣に考え
速やかに行動へと
移していきたいと思います。

———————————————-

本当に
紙一重だったと思う。

もしかしたら、
今、こうやって
ブログを更新することすら
できなかったかもしれない。

そう思うと
ものすごく恐ろしいけど、
それもまだ人生。

だから、
やりたいと思うことは、
やれる時に
ちゃんとやっておくこと。

激しく
そう胸に突きつけられた
この一週間だったかな。

私にとっての
一回目の命拾いは、
あの地下鉄サリン事件の日のこと。

あの日、
日本武道館で
行われる予定になっていた
大学の卒業式に出席するために、
もうちょっとだけ
早く自宅を出ていたら、、、

あれから
四半世紀の時を経て、
こんな紙一重の
事態に見舞われるとは……

ショックではあるが、
その一方で
この体験をしっかりと
経験化しないといけないという思いも
当然、持っている。

コトのはじまりは、
15日(火)午前3時台のこと。

この日、
出張で東京方面に移動するため、
新函館北斗駅に向かい
暗いうちから車を運転していた。

さて、
安全策で高速を使おうか、
それとも距離ロスを抑え、
高速代を節約できる下道を使おうかと
悩むこと数分。

"やっぱ高速道路を使おう"

あれこれと考えて、
結局、天候が悪いことを考慮し、
そう決断したのであった。

そして、
この決断が、
ギリギリのところで
自らの命を救うこととなった。

その件に関するニュースが
コレ。

そう、
もし下道を使うとしたら
ちょうどそれくらいの時刻に
現地を通過していたであろう
そのタイミング。

国道の法面で
規模の大きい雪崩が起きて
道路が完全に
塞がれてしまったのである。

もちろん、
雪崩のリスクを考えて
高速道路経由を
選択したわけではない。

もうちょっとだけ
寝ぼけていて、
思考回路が正常に機能していなければ、
もしかすると
安易に下道を
選択していたかもしれないのだ。

いやはや、
考えただけでも恐ろしい。

ただ単に運がよかった。
本当にそれだけのことだったと思う。

が、しかし、
運命のいたずらは
これでは終わらなかった。

私がおさえていた
北海道・東北新幹線の切符は
15日の朝に新函館北斗駅から
東京方面に向かう便と、
17日の午後に、
東京駅から新函館北斗駅へと向かう便。

そう、福島県沖で
あの大地震が発生したのが、
16日の夜遅くのこと。

新幹線が脱線したのは、
ちょうど私が
首都圏に滞在している
真っ最中だったのである。

たった数十時間のズレなんて、
地球の歴史に照らしてみれば、
ほんの一瞬。

少しでも
タイミングがズレていたら、
私の乗っている新幹線が
あの脱線現場を通過している時に
大きな地震が
発生したかもしれない。

そしてその時間帯、
対向する列車が
ほぼ同時刻に
あの現場に差し掛かっていたとしたら、、、

いやはや、
考えただけでも恐ろしい。
やっぱり自然災害は、
いつ自分の身に降りかかってくるか
本当にわからないんだよな……。

結果、地震によって
北海道への帰路を
絶たれることとなった私は、
地震発生の直後から、
ほぼ寝ないで列車の運行状況を調べ上げ、
具体的な対策を検討。

その結果、
始発の上越新幹線で新潟へと向かい、
その後、在来線の特急を乗り継ぎ
秋田、新青森を経由して
新函館北斗駅に戻るというルートに
賭けてみることとしたのであった。

そして
幸いなことに
なんとか17日中に
北海道へと帰還することに成功。

翌日の予定に
穴をあけずに済んだのである。

実のところ私には、
10代の頃、
青春18きっぷを駆使して、
各地の渓流を
釣り歩いていた経験がある。

とりわけ
鉄道に詳しいわけではないのだが、
全国各地の鉄道路線図だけは、
いまだに頭にインプットされたまま。

それが今回、
期せずして生かされることとなった。

そして、
こんなこともあった。

新潟駅で乗り込んだのは、
秋田行の「特急いなほ」。

そして発車から
およそ1時間後、
前日にサクラマスフィッシングが
解禁となっていた荒川にかかる橋梁から、
トロ瀬にウェーディングしている
アングラーの姿が見えたのだ。

そうそう、
そんな景色を観て、
なんだか日常に
揺り戻された気分になり、
テンパりかけていた心が
スッと落ち着きを取り戻したのである。

いつまた自然災害に
見舞われるかわからないという
強い不安にかられる中、
自らがアングラーであり、
若かりし頃に蓄積した経験が
思いもよらぬ形で生かされるなんて
夢にも思わなかった。

途中、
約40年ぶりに見た
JR酒田駅の様子が懐かしい。

まさに
激動の一週間と
なってしまったのだけれど、
JR秋田駅に着いた時には
メンタルは
完全に平静を取り戻していた。

地震に動揺して
すっかり忘れかけていた
家族へのお土産も、
秋田駅併設の駅ビルで無事調達完了。

4年前に発生した
北海道胆振東部地震の時とは違い、
自らが直接的な
被災者になったわけではないけれど、
この一週間は
いろいろと考えさせられることが多い
濃密な時間であったようにも思う。

時間は有限。
そのことを
あらためて胸に刻み
この先、生きて行かねば。

それを再確認できたという意味で、
私にとってこれは不幸な体験ではなく、
むしろ大事な
勉強の機会だったのかもしれないな。

投稿の最後にはなりますが、
今回の出張に関連して
いろいろとご心配いただいた皆様に
心からの感謝をお伝えしたいと思います。

相変わらず
つたないブログではありますが、
これからも「北の大地に鱒を追う」を
どうぞよろしくお願いいたします。

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