レタッチの功罪

最近になって、
何人かのアングラーの方に
写真のレタッチに対する考え方を
尋ねられるシーンがありました。

そこで今日は、
釣った魚の写真を
加工することの是非について、
「レタッチの功罪」をテーマに
自らの想いを
明らかにしておこうと思います。

まずはじめに
自身のスタンスから。

私はキャッチした魚の写真を
PhotoshopやLightroomなどの
ソフトウェアを使って
レタッチすることは一切ありません。

その理由は
極めて単純明快。

私にとって魚の写真は
「リアルであることにこそ価値がある」
のであって、
レタッチを施した時点で
その価値を失うことになってしまうから。

ただしこれは
私独自の価値観であり、
他者に強要するものでもなければ、
「普遍的価値だ」などと
大上段に構えるつもりも
いっさいありません。

単にこれが
マイスタイルであるという
ただそれだけの話です。

もう少しだけ
突っ込んだ話をすると、
私にとって
魚の写真を撮影することは、
それ単体では
単なる自己満足に
過ぎないということ。

釣った魚の画像に対し、
「おお、スゲー!」とか
「うらやましいなあ~」などと
他者に言ってもらうことを
今はまったく求めていないのです。

つまり、
釣った魚の写真を
広く提示することをもって
自らの承認欲求を満たしたい
という思想が
そこにはまったく存在しない。

それゆえ、
あれこれとレタッチを施し、
ホンモノ以上に美しく、
そしてカッコ良く見せようと
努力する必要がない
ということなんですね。

こう書くと、
じゃあなんで
ブログやインスタに
魚の写真を載せるの?

そんな疑問を
投げかけられたりもするでしょう。

もちろん、
私にも承認欲求というものは
あります。

ブログやSNSを見た方に
「凄い魚を釣ったね」
などと声をかけていただいたら、
もちろん嫌な気持ちはしません。

でもそれによって
承認欲求が
満たされるのかと言えば、
決してそんなことはない。

そうそう、
ちょっとだけ
刺さるツボが違う
とでも言いましょうか、、、

例えば、
このブログを観てくださる
アングラーの方が、
「ここからなんらかの着想を得て、
見たことがなかった景色に出逢えた」
というような話が
私の耳に入ってきたとしましょう。

その時、私は
とても満たされた気持ちになります。

今日は「承認欲求」が
メインテーマではありませんので、
この論点をこれ以上
掘り下げることはしませんが、
レタッチと承認欲求との間に
因果関係が存在することは
どうやら間違いなさそう。

私がこのように
認識していることだけは、
追々本論にも関わってくる話ですので、
この段階で明確にしておいたほうが
いいのかもしれません。

さて、
話題をレタッチに
戻すことにしましょう。

私にとって
レタッチの意味するところは、
「画像を作品化する」
という作業になります。

つまり、
写真展を開いて
自らの"作品"を
来場者に見てもらいたい、とか……

写真集を出版し
"作品"としての価値を
広く世に知らしめたい……
などともしも考えたのなら、
その時の私は
撮影した写真にレタッチを施し、
立派な"作品"に
仕立てようと企てるのかもしれません。

リアルはリアルとして
一切の装飾無しに世にさらけ出し、
作品は作品として
パリッとお化粧して世に送り出す。

これなら誰かを
騙すことにはなりませんし、
リアルにも作品にも
それぞれの違いを明確にした上で
別々の価値を
見いだすことができるわけですから、
画像の扱い方として
正直かつまっとうであると
言っていいのではないでしょうか。

このように、
レタッチという行為自体を
私が否定的に捉えているかと言えば、
決してそんなことはありません。

別の事例を挙げるならば、
釣り関係のイベントをPRする
ポスター作成の際に、
レタッチを加えた魚を画像を使用し
見栄えのいいデザインに仕上げるとかなら、
特に違和感を
抱いたりはしないですからね。

ところで
急に話は飛びますが、
皆さんは一昨年の秋に
こんな出来事があったことを
覚えていらっしゃるでしょうか。

地図大手のゼンリンが、
Twitterの公式アカウントに投稿した
函館五稜郭公園の
紅葉風景画像が物議を醸し、
会社として謝罪する
騒動に発展した事件のことを。

当時、ハフポスト日本版に
掲載された記事の抜粋がコレです。

2021/11/14 ハフポスト日本版より抜粋

今さら
ゼンリン社を貶める意図は
まったくありませんが、
当時「さすがにこれはダメでしょ!」
と多くの方が感じたのは
ほぼ間違いないのかな、と。

そうなんですよ、
つまるところ話は単純で、
本当は加工された"作品"
であるにもかかわらず、
あたかも"リアル"
であるかように標榜することは
社会通念上、信義則に反する。

言ってみれば、
ただそれだけのことだと
思うのですよね。

つまり
あの五稜郭の写真だって、
"作品"だと明かした上で、
「こうだったらスゴイよね!」
みたいな形で発信していれば、
炎上することもなかったのでしょう。

にもかかわらず、
事実を誤認させるような
発信の仕方をしたものだから、
"騙された"側の人は
当然、いい気持ちなどしない。

そして
怒った一部の人が
過激な企業批判を展開する。

事件の構図は、
こんな感じであったのでしょう。

実のところこの一件は、
魚の写真の加工にも
当てはまる話なのだろうと
私は考えています。

つまり、
レタッチという行為により
「リアル」を偽装することは、
どうしても
受け入れられないということ。

具体的に言うと、
アングラーの顔を
若い女性に差替えることにより、
あたかも釣りガールが
その魚を釣ったかのように見せかけ
アクセス数を稼ごうとするとか、、、

キャッチした
ニジマスの写真について、
レッドバンドの部分だけ色加工を施し
あたかも鮮やかな
赤色をしていたかのように
見せかけるとか、、、

これらの行為は、
まさにレタッチを駆使した
「騙し」行為にしか
私には見えないのですよね。

だから
こういった目的で行われる
レタッチが横行している現実は、
正直、なかなか
受け入れ難いものがあるな、とも…

余談ではありますが、
拙書「feat.鱒」を出版する際、
魚の写真を紙に印刷するにあたり
レタッチしないと
どうしても元の色味を再現できず、
リアルには程遠い画像になってしまう
という課題に
直面することとなりました。

その時、
私がデザイナーさんに
お願いしたのは、
以下の2点。

  • 絶対に作品にはしないでほしい
  • 出力後にできる限り
    元の写真の色味に近づけてほしい

今考えてみると、
言葉で言うのは簡単だけど
実際にやる方は大変だよな、と。

でもそれくらいの
こだわりがあったからこそ、
「feat.鱒」をご購読いただいた方や
当ブログをご覧いただいている
アングラーの方から見ると、
私がレタッチという
行為そのものに対して
否定的な考え方を持っているように
映ったのかもしれません。

でも、
本当のところを明かせば、
本という紙の媒体では
レタッチなしに
リアルを表現するのは困難であった。

そうも言えるのが
なんとも逆説的で
面白くもあるですけれど、、、

そんなこんな、
今日は「レタッチの功罪」
をテーマとして、
ここまで具体的な
事例も織り交ぜながら
あれこれと綴ってみました。

言うまでもなく、
自らの価値観を
皆さんに押し付ける意図は
まったくありません。

だからこそ
「いや、それは違う!」
「この理屈は変だよね……」
も大歓迎。

中身の是非はともかく、
この投稿が
何かを考えるきっかけになれば
ただ純粋にうれしい。
そう思っています。

写真として見た時の一般的な「正解」は、もっと手前にピントを合わせることなのでしょうが、、、

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