(前回からつづく)
ここまでの時間、
ものごとは
すべて思いどおりに運んでいた。
早朝から、
2本のイトウをキャッチ。
狙いどおりのアプローチで
歴戦のツワモノを手にできた喜びは
なによりも大きかったし、
春シーズン最後のチャンスを
確実にモノにできたという充実感も
小さくはなかったと思う。
ところが、
心穏やかに過ごせていたのは
ここまで。
なんと、
この日、狂気じみていたのは
イトウだけではなかったのだ。
そう、何を隠そう
自分の中に潜んでいた悪魔が
ひさかたぶりに
モゾモゾと動き始めたのである。
すべてのはじまりは、
対岸にいた先行者が
タバコの吸い殻を
河原にポイ捨てする瞬間を
目撃するところからだった。
実は、この先行者を
同じ場所で目撃するのは、
これがはじめてではない。
車のすれ違いで道を譲っても
挨拶もせずに完全無視。
他のアングラーと
エントリー場所が被りそうになったら
走ってでも
そこに先回りしようとする
他者にまったく配慮のない
自己中心的なアングラーであることは
以前からよく知っていたのだ。
だから、もともと
良い感情を抱いてはいなかったのだが、
許しがたきタバコのポイ捨てを
目撃してしまったものだから、
自分自身の中で、
一旦、ONに入った変なスイッチが
何をやっても
元に戻らなくなってしまったのである。
その先行者は、
タバコを地面に投げ捨てると
すぐさま車に乗り込み移動。
あんまり言いたきゃないけど、
いつも自分たちが
楽しませてもらっているフィールドに
たばこの吸い殻をポイ捨てするって
いったいどんな
神経をしているのだろうか。
しかも、このコロナ時代。
唾液がたっぷりとしみ込んだ
汚いたばこの吸い殻を
他のアングラーも利用する場所に
無造作に投げ捨てるなんて、、、
もうホント、
こういう連中には
二度とフィールドに
足を運んでもらいたくないな。
そんな怒りとも
呆れとも言えないような
モヤモヤした感情が
胸の内に湧きあがってきたのは、
もちろん言うまでもない。
加えて、
かなり面倒くさいことが
僕の心の中で
起こってしまっていた。
コイツらに釣られる
可能性がありそうなイトウを
1尾たりとも
この界隈に残してなるものか!
いやはや、
冷静に考えれば、
これは狂気と呼んでもいいような
なんとも不健全な感情だ。
けれどもその時は、
それはそれは
何とも自然な形で
湧きあがってきた感情であり、
自制しなきゃとすら
思い至ることはなかった。
そう、年を重ねるごとに
ずいぶんとおとなしくなったはずの
僕の心の悪魔が
ついにこの時、モソモソと
うごめきはじめてしまったのである。
少しだけ自己弁護しておくと、
元来、釣れるからと言って、
釣れるだけ釣り切ってしまうスタイルを
僕は良しとしていない。
所詮、プライベートな釣りなんて
自分が納得しさえすればそれOKなのだし、
釣れる魚を残しておくことで
後からやってきたビギナーにも
素晴らしい鱒と
出逢えるチャンスが増えるのだから、
冷静に考えれば、
そのほうがいいに決まっている。
でも、この時の思考回路は
はっきりこれとは違うものだった。
不幸にも
言葉じゃ伝わらないような相手には
実力行使するしか
選択する手段がないじゃないか。
そう、眠っていたはずの
あぶないスイッチが
完全に入ってしまったのだ。
もちろん、
実力行使と言っても、
暴力とかそういうことではない。
奴らにだけは
絶対に釣られることがないよう
自分にできることは全部やり切って
イトウを徹底的に
教育してやろうと考えたのだ。
そう、自分に釣れる魚は
全部、根こそぎして、
たっぷりと知恵付けしてやる。
そうすれば、
きっと奴らには
簡単に釣れなくなるだろう。
奴らに残しておくべき魚など
一尾たりとも要らない。
イトウが釣れなくなれば、
だんだんと奴らも
足が遠のくようになるはずだ。
そうなれば、
少なくとも奴らに
素晴らしきこの地の河川環境を
汚されることはなくなる。
ひとりでできることに
当然、限界はあるが、
決して無力ではない。
よ~し、
やってやろうじゃないの!
後から思い返すと、
当時の高ぶった感情が
決してほめられた
ものじゃなかったことに自分でも気づく。
でも、あの時は
そういう感情に
ならざるを得なかったと思うし、
そんな自分を
責める気にもならない。
自分が、
未だにでっかい幼稚園生だから、、、
かもしれないけど、
ああいう状況に遭遇した時の
感情の処し方は実に難しい。
さて、皆さんなら
こんなことが起こった時、
どうやって
自分と折り合いをつけるのかしら……。
機会があれば、
是非とも参考として
意見を伺ってみたいと思ったりもする。
さて、そんな最悪な
出来事をきっかけとして
完全にスイッチが入ってしまった僕は、
そこからものすごい集中力を持って
釣りを続けることとなった。
あえて、
先行者の抜けたポイントに移動し、
ベイトフィッシュの動きに合わせて
イトウがそのスポットに
フィーディングで入ってくる
タイミングをひたすら待つ。
そう、そのポイントに
回遊してくるイトウを
なんとしても
抜いてやろうと考えたのだ。
もちろん、
基本的にイトウは
絶えず動き回っている魚ではある。
ただし、
ことフィーディングスポットに関しては、
案外、固定化する傾向が強いというのが
経験上、僕が導き出したひとつの答え。
もちろん例外もあるが、
仮説が概ね正しいとすれば、
奴らがイトウをキャッチできる確率を
1%でも下げるには
そのスポットに入ってくるイトウを
全部抜いてしまうことが
最も効果的な方法に違いない。
もちろん、
「魚を抜く」と言ったって、
別に殺生するわけではなく、
キャッチしたイトウは
ちゃんとリリースする。
たとえリリースしたイトウが
その後、同じ場所に
時間をおいて舞い戻ってきたとしても、
格段に警戒心は増し、
よりいっそう
釣りにくくなっていればそれでOK。
そう、リリースされたイトウが
もう奴らの手には負えないほど
特別な存在へと成長を遂げてくれれば、
それをもって
すべての目的は達成されるのである。
なんだか
自分でも恐ろしくなるほどの
強烈な負の感情ではあったが、
人間、こうした負の感情が
時に、自らのパフォーマンスを
一気に上げることがあるから不思議。
なんと、この後、
フィーディングスポットに入ってきた
スプーキーなイトウに、
一発で口を使わせることに
成功してしまったのである。
グォ~ン、グォ~ン、
ジジジジジーーーーーーー
あれっ、
これはさらにサイズアップか!?
ロッドを握る右手に伝わる感触が
今、対峙している相手の
だいたいの大きさを教えてくれる。
ドライに言えば、
ヒットに持ち込んだ時点で
イトウへの知恵付けは
ほぼ完了したとも言える。
でもそれでは、
バイトしてくれた魚に対して
あまりに失礼というもの。
一旦、魚とつながってしまえば、
純粋に鱒釣りを楽しんでいる
普段の自分に戻れる。
この日の釣りが
楽しくないものになりかけていた中で、
そこだけは、
せめてもの救いだったと思う。
準備運動は万全だったので、
時間はかかったが、
サイズアップにも冷静に対応。
特に、危なっかしいシーンもなく
無事、ネットインまで
持ち込むことに成功した。
ネットインしたイトウを
まずは1枚パシャリ。
迫力のある立派なヒレが
なんとも印象的な個体だ。
サイズは、
後の計測で104cm。
ここで、
さらに1枚写真撮影……。
ん、、、
マズイ、目力を
少し失いかけているぞ!
イイ魚だったので、
ちゃんとしたカットを
何枚かは撮りたかったのだけれど、
魚の疲労が著しかったので、
一旦、撮影をあきらめて
急いで回復に努める。
そう、このイトウ、
体力が続く限りの
粘り強いファイトを展開。
普段なら90秒前後で済むはずの
ファイト時間は、
およそ倍、いや3倍くらいにまで
及んでいたと思う。
その影響もあったか
キャッチした瞬間には、
やや体色が褪せてしまうほど
疲れ果てていたのだ。
そこから、
回復に向けた必死のサポートが
およそ10分、
いやそれ以上の時間
長く続いたかもしれない。
一時はやっちまったかと思うほど
深刻な状態に陥ってしまったのだが、
あきらめることなく
尾を持って何度も何度も繰り返し
エラから空気を送り込んでやると
ようやく目力が戻り、
地力で泳げる状態にまで回復。
でも、まだ不安が残っていたので、
さらなる回復を待ち、
ホールドしていた
僕の手を自ら振りほどくところまで
じっくりと回復を待ってからリリース。
ふ~、
なんとか命を奪わずに済んだけど、
今回はちょっと危なかったな……。
リリース失敗と隣り合わせの
この出来事をきっかけに
僕は少しだけ
冷静さを取り戻すことに。
だからと言って、
自分に釣れる魚は
全部、根こそぎして、
たっぷりと
知恵付けしてやるのだという感情が
消え失せたわけでもなかった。
ここからは
冷静にいつものペースで、、、
……なんだけど、
微塵もモチベーションが
下がることはなく
界隈のポイントを丁寧に攻め続けた。
そして、
驚くべきことに
この後の約2時間で
なんと計4本の追加に成功。
サイズアップこそならなかったが、
90cm台後半2本に、
80cm台と70cm台が1本ずつと
自分でもちょっと驚くような
強烈なハイスコアを叩き出したのだ。
ただ、さっきの魚が
ちょっとトラウマになっていたので、
写真撮影は
一旦、取りやめ。
後になって思い返してみれば、
いつもどおり写真くらい
撮ればよかったとも思うのだけれど、
その時は、なぜか
そんなふうには思えなかったのだ。
当時、自分では
多少冷静さを取り戻せたような
気持ちになっていたけど、
根こそぎして、たっぷりと
知恵付けしてやるのだという
感情が邪魔をして
本当の意味で、普段の自分には
戻りきれていなかったのかもしれない。
朝のこの短い時間に
メーターオーバー2本を含む
計7本の釣果というのは、
この超激戦区では
過去に例を見ないハイスコア。
その意味で、
この日のイトウは
間違いなく
狂気じみていたと言えるのだろう。
そうじゃなかったら、
いくらなんでも
この驚愕のスコアは
絶対にあり得なかったと思う。
それは、
過去データとの比較でも
明らかなことであった。
でも、狂気じみていたのは
何を隠そう、自分も同じ。
こんな集中力を発揮して、
釣れども釣れども
いっさい緩めることなく
撃ち続けたのなんて、
いったいいつ以来のことだろうか。
でも、どこまでも
充実した時間だったかと言えば、
正直言って、
それはまったく違っていたと思う。
質と量、
そのどちらをとっても
申し分のない釣果だったにしても、だ。
やっぱり、
どこかで目的がすり替わってしまうと、
後になってから
モヤモヤとした感情に
さいなまれることになる。
そう、決して
「やってやった!」にはならない。
このざまだと、
ずっと大事にしてきたはずの
春のイトウ釣りを
純粋に楽しめなくなってしまう。
う~ん、ここは
一旦、落ち着かないと……。
あと1時間ほど
時間に余裕があったのだけれど、
少し予定を早めて
撤収することを決意。
仮眠をとって、
日中、仕事に打ち込めば
少しは気持ちも
リセットできるだろう。
でも、
このままの感情で帰るのは
どうしてもイヤ。
夕方、普段の自分を
完全に取り戻した状態で、
もう一度
このフィールドに立ちたい。
この日の朝は、
そんな複雑な感情を抱えたまま、
フィールドを
後にすることに
なってしまったのである。
(次回に続く)